代表紹介

はじめまして。ケンゴと申します。
まずは、僕のプロフィールを開いてくださりありがとうございます。

<簡単な自己紹介>
・名前:ケンゴ
・生年:1982年
・家族:妻、子供3人(男の子6才、4才、1才)
・仕事:会社員(技術系:建設コンサルタント)
・資格:技術士(2部門3分野)
※総合技術監理部門、建設部門(河川、砂防及び海岸・海洋/建設環境)

このページでは、ブログ記事に関連する部分を切り抜いて、僕の人となりを書いています。

<プロフィールの概要>
・適応障害による休職から復帰までの半年間で得たもの(35歳)
・ビジネスを実践していくと自由な発想ができるように(現在進行形)
・技術士という資格を通して得られるもの、見えるもの(33歳以降)
・家族ができて変わってきたもの(31歳以降)
・学生時代のジャズビッグバンドで得たもの(19~24歳)

適応障害による休職から復帰までの半年間で得たもの(35歳)

僕は35歳の時、半年間会社を休職したことがあります。

精神科で適応障害と診断され、投薬治療はせず、ただただ家でぼーっと過ごしていました。

休職直前の症状は次のとおり。
•会社に行っても仕事に集中できずPCの前で画面を眺める。
•朝起きられない日が多く、ベッドから会社の上司にメールでお休みの連絡をする。
•常に仕事のことが頭から離れず緊張状態にあり、胃のあたりが重く痛い。
•家事や子供の相手すらも億劫になり何もしたくない。
•TVを観ても何をしても心からは笑えない。

結論を言えば、僕はこの状態から復活して今は仕事を普通にこなしながら、ブログで当時のことを客観的に振り返ったりすることができるようになりました。

半年間の休職で会社に復帰できた僕は、単に運が良かっただけなのかも知れません。

しかし、この半年間のお休みの中で、自分に対する評価というか認識が明らかに変わったのは事実です。僕が考え方を変えるきっかけになったのは、いくつかの書籍でした。

当時の僕は、典型的な上司との人間関係で悩み、自分が追い詰められた原因を追究しようと日々頭の中で考えていました。そんなときに読んだのが「7つの習慣」でした。

詳細は別の記事で書こうと思いますが、「7つの習慣」から僕が学んだ最も大きな気付きは、第1の原則「主体性を発揮する」でした。この考え方は、端的に言えば、自分の人生に責任を持つ、人生のあらゆる分岐点で自分が何をするかは自分が選択できるというものです。

次のようなことで悩んでいる方にとっては解決の道筋が見えるかも知れません。そしてこれらは、そのまま僕が持っていた悩みでもあります。

・ついつい自分と他人を比較して、落ち込んでしまう
・上司に怒られることが怖い
・同僚にできないやつと思われたくない
・今抱えている悩みの原因を突き止めたい

ビジネスを実践していくと自由な発想ができるように(現在進行形)

休職するまで、仕事はきついもの、我慢しながら皆やっている、生きるためにはしょうがない、そんな受け身の考え方で生きてきました。ただ、受け身ながらも、自分の役割は全うしたいと、サービス残業も厭わず頑張ってきたのは確かです。

適応障害の診断を受け、働けなくなって5ヵ月も経ったとき、僕はこれまでの頑張りはなんだったのかと怒りを覚えました。

「7つの習慣」で主体性を持つことの重要性に気付いた僕が、次に大きな影響を受けた書籍が「金持ち父さん 貧乏父さん」でした。類似の書籍は他にもあると思いますが、たまたま初期に読んだのがこの本でした。

この本が僕に教えてくれたのは、以下のようなことです。
・人に(会社に)依存しない生き方
・富の作り方(引き寄せ方)
・自分のビジネスを持つこと

ある特定のノウハウを記した本ではないですが、抽象度が高いため、何度読んでも自分のレベルに応じて新たな発見があります。

その後、会社に依存しない生き方を求めてせどりなどのビジネスや不動産などへの投資を学び、実践してきました。しかし、せどりは継続できず、不動産では詐欺に遭うなど、散々な失敗を経験してきました。

ただ、そんな中にもやはり学びがありました。僕が今行き着いたところは、結局ビジネスでは何らかの価値を生み出し、それを売り、対価としてお金を受け取るというシンプルなもので、これらを形作るのは人と人との結びつきであるということです。

今は人と人との信頼関係を大切にしながら、周囲の人の役に立つことを第一に考えるようになりました。

技術士という資格を通して得られるもの、見えるもの(33歳以降)

技術士は、国家資格ではありますが、医師や弁護士、会計士などの業務独占資格とは違い、この資格がなければできない仕事、つけない職業というものはない、名称独占資格です。

自分で言うのもなんですが、比較的取得難易度の高い資格だとは思います。僕自身、1つ目の技術士資格を取得するのに7年を費やしました。

ただ、僕がここで言いたいのは、難易度の話ではなく、技術士という資格取得までの道のりがもたらす副次的効果と考えられるものです。

それは、言葉で自分の考えを伝えること、文章を書くこと、資料やプレゼンの構成を練ることなど多岐に渡りますが、要約すると、相手に確実に自分の考えを伝える能力がある程度身につくという点です。

例を挙げると、仕事をしているとメールを多用すると思います。しかし、メール一つとっても何を言いたいのか、何を依頼されているのかわからない文章をよく見かけます。また、プレゼンでは何を伝えたいスライドなのか、結論は何だったのかわからないプレゼンを見かけることがあります。

もちろん、技術士なんか持っていなくてもこれらを極めている人はたくさんいます。でも、技術士という資格は、これらの能力を一定程度証明してくれる資格でもある、というのが僕の考えです。

このブログでは、技術士試験に合格するために、どんな勉強法や考え方をすることが有効なのか、あるいは文章やプレン全テーションの構成の考え方などについてもお伝えしていければと思っています。

家族ができて変わってきたもの(31歳以降)

僕は31歳で結婚し、その後36歳までに3人の男の子に恵まれました。

結婚や子育てについては、いろんな捉え方があると思います。妻と言ってもやっぱり他人ですので、価値観が異なる部分もあり、自分の時間は少なくなりますし、子供に至ってはそもそも話が通じないところからの出発です。自分の自由な時間を犠牲にしたくないと考える人も多いかも知れません。

でも僕は、この点では少し違った考えを持っています。異なる価値観を持つ妻との生活の中で本当にいろんなことに気付かされます。

例えば、
・僕の几帳面すぎる部分は、もっと大雑把でも問題ない
・僕が過去を懐かしむ傾向があるのに対して、妻は最新の流行情報を仕入れる
・異なる価値観の人と生活することで、寛容性が身につく

細かく挙げていくときりがないです。

子育てに至っては、そもそも自分の思い通りに、計画通りに物事を進められるという思い込みをなくし、より他者に対して寛容に接することができるようになりました。

適応障害で会社を休職したときも、家族が心の支えになっていたのは間違いありません。

今では、夫婦間や親子間では、相手の気持ちを理解することがコミュニケーションの第一歩になると思っています。このブログでも、夫婦間、親子間のコミュニケーションについて、僕の考えを書いていければと思っています。

学生時代のジャズビッグバンドで得たもの(19~24歳)

僕は高校1年生のときに、ロックバンドXjapanのYOSHIKIに憧れてピアノを始めました。そのピアノとの縁がきっかけで、大学ではジャズビッグバンドの部活動に入ったのです。このビッグバンドには、結局大学院時代も含めて6年間在籍していました。

大学時代の僕は、勉強なんかほとんどせず、留年はしなかったものの、アルバイトとジャズに没頭する勉強の面では典型的なダメ学生でした。大学院の試験でも、夏期入試に落ちたため冬期入試でなんとか滑り込んだぐらいです。

そんな中でも、ビッグバンドでは3年生のときに部長を任されたこともあり、特に人間関係について多くのことを学んできたと思います(体系的な理解は伴っていなかったにしろ)。

1~3年生までの僕は、非常に自己中心的で、全てのことが自分の思い通りにならないと気が済まないというタイプの人間でした。そのことを端的に示すエピソードとして、ビッグバンドのルールに沿わないと思う部員を強制的に追放したことさえありました。今考えれば非常に利己的で恥ずかしい話です。

その後、4年生~大学院の2年生にかけては、自分でも自覚できるほどの寛容さを身に付けていきました。きっかけがなんだったかは思い出せませんが。その変化に呼応したのか、人脈が増え、学校外でのバンド活動が増えていきました。

このブログで、ジャズを語るほどの音楽の知識は、僕にはありませんが、僕の人となりを紹介するために昔の話も入れてみました。今後、おすすめの曲ぐらいの記事は書くかも知れません。

まとめ

このブログでは、次のようなことを記事にしていこうと思います。

・コミュニケーション(会社の上司・同僚、夫婦、親子)
・技術士
・投資・ビジネス
・その他

以上です。ここまで読んでくださりありがとうございました。