こんにちは、ケンゴ(@shibaken574)です。
自分の歯で食事ができなくなりましたのでシェアします。
厳密には、できなくなる恐怖を感じた、です。
誇張表現ですみません。
右奥の親不知を抜歯して約9ヵ月後、右奥歯(元の親不知の隣)の歯茎の内側にあるはずの歯槽骨と呼ばれる支えの骨がすっかり溶けてなくなってしまいました。
そして、食べ物を右奥歯で嚙もうものなら、それはもうズキッ!!!!と痛むわけです。
順を追ってお話します。
僕と親不知
僕の親不知は、ご多聞に漏れず横から生えていました。右も左も。
特に右の親不知は、20歳の頃から6~7年に一度炎症を起こし、ジンジンジクジクとした痛みを僕に与えていました。
例えるなら、蓄膿症の歯版です。
しかし、深く根をはっているため、抜歯するには右奥歯茎の切開が必要で、かつ歯を2~3分割するという荒行が必要でした。
そのことを歯医者さんから聞かされた僕は、ついに18年間もの長期間親不知を放置してしまったのです。
2020年4月、久しぶりの痛みっ!!ジンジンジクジク。
もう、限界か、今度こそは、抜かなければ、いけないのか!!
歯医者でも強く抜歯を勧められました。
僕は、観念しました。
そして、右親不知を抜歯することにしました。
親不知の抜歯
とある病院の口腔外科で、親不知はサクッと抜かれてしまいました。
サクッと歯茎を切開され、メリメリっという感覚とともに。
その後2週間あまりは、皆さんご存知の通り、痛みでまともに食事ができませんでした。
飲むゼリーを吸い込みながら、これが歯を失ったときの食事か、と一時的とは言え歯を失う恐怖を感じていました。
これが最初の歯を失う恐怖でした。
当然、切開の傷が治ればこの状態は脱することができるので、恐怖と言っても期限付き、心の奥底は平穏そのものです。
右奥歯周りの骨がない!!
本当の恐怖は、親不知抜歯から約9ヵ月経った頃にやってきました。
親不知抜歯後、傷の痛みは一旦おさまりましたが、いつからか右奥歯で食べ物を噛むとズキっと痛むようになっていました。
その時点で早々に歯医者に行けばよいものを、あろうことか抜歯の傷が完治してないだけだろうと高をくくり、僕は解決を先延ばしにしてしまいました。
しかし、年明けて1月も後半に差し掛かったころ、またしてもジンジンジクジクの痛み!!
ま、た、これかっ!!なんで親不知抜いたのに痛むんだーーー!!!!
暗たんたる気持ちでまた歯医者へ行きました。
レントゲン写真を撮って、歯医者さんもびっくりです。
な、なんと、右奥歯を支える骨がすっかりなくなって、いるでは、ありませんか!?
つまり、お肉に歯がささっているだけの状態なわけです。
根の治療か抜歯かを選べ
歯医者さんはさらりとこう言います。抜歯しましょう。
えっ!?親不知じゃないよ?これ。奥歯だよ?
僕は生まれて初めて自分の一部を失う恐怖を味わいました。
諦めきれなかった僕は、とある大学病院でも診てもらい、抜歯は嫌だ、なんとかなりませんか?と泣きつきました。
大学病院の若井先生は、神経が死んで歯の根っこの周りが膿んでいますね、と。
歯に穴をあけて膿を吸いる、いわゆる根の治療をすれば骨が復活する可能性がかすかにあると思います、と。
根の治療はどこでもできますよ、と。
僕は心の中で安堵し、ガッツポーズしました。
喜び勇んで近所の歯医者に行くと「うちではその治療はしたくありません!!」
「なぜならその治療によって治る可能性はほとんどないからです。」
な、なんと、治療拒否されてしまいました。
なんだなんだなんだなんだ????
控えめに言っても自分は患者であり、お客様、じゃなかったっけ?
とりあえずその歯科医院での治療は諦め、友達の歯医者さんに相談することにしました。
(大学時代、音楽つながりで近くの歯科大生の友達がいたことをすっかり忘れていました)
現在歯医者の友達1:んー、たいがい抜歯ですねー
現在歯医者の友達2:んー、抜歯じゃない?
な、ん、だ、よ!!
でも、なんとか友達2から、信頼のおける歯医者さんを紹介してもらえました。
都内の世田谷区にある歯医者さん、CT撮って状況確認してくださいました。
レントゲンは一方向の撮影、もしかすると写っていないところに歯槽骨が残っているかも。
結果は、歯の周りぐるりぐっと、全く骨は残っていないという悲惨な状況でした。
信頼のおける歯医者さん:んー、うちでは抜歯するしかできないですね。。。。
根の治療という手もありますが、それ専門の歯医者に行った方がよいです、と。
ただ、それでも治るかどうか、望みは薄いんじゃないかと思います、と。
僕は、ついに、抜歯を決断しました。
なぜかって、その間もずーっとジンジンジクジクが続いていたからです。
もう、早く、この、痛みから、解放、されたーーーーーい。
さようなら奥歯
2月末、僕は奥歯にお別れを言いました。
と言っても、抜いた奥歯は持って帰ったわけですが。
おわりに
結局、奥歯を失ったわけですが、案外奥歯ってなくてもそんなに気になりません。
今後は、膿を取り除いて再生されるであろう骨にインプラントするかどうかを考えています。
今回の一連の出来事から大切な教訓を得ました。
ここまで読んでくださる方がいらっしゃればよいのですが(笑)
教訓とはつまり、歯の大切さ、ひいては健康の素晴らしさを実感することができたということです。
約1年に渡って、痛みのために右奥歯が使えなかった経験を通して、歯があることの幸せに気付きました。
右奥歯抜歯後、文字通り、右側で噛んで食事できることの幸せを嚙みしめたわけです。
歯があるのが当たり前、健康なのが当たり前の人生を送ってきた僕にとって、今回の一連の出来事は、今後の健康を考える上でとっても大切な学びとなりました。
「意味」という言葉の意味は、有ることと無いことの違いを知ることだと何かの本で読みました。
歯の意味は、歯が無いことを経験して初めて知ることができるのかも知れません。
また、ランス・アームストロングという人の著書で「ただマイヨ・ジョーヌのためでなく (講談社文庫)」という本があります。
癌を克服してツール・ド・フランス7連覇を成し遂げた自転車走者の自伝ですが、この本のことを思い出していました。
健康を失って初めて健康の大切さを知る、歯を失って初めて歯の大切さを知ることができるのかも知れません。
以上です。ここまで読んでくださりありがとうございました。